歌の事

花を見ると歌っている様に思います。

イタリアのオペラ歌手がビゼーのカルメンを歌っている様です。

だいぶ前ですが、友人が急に行けなくなったからと私にカルメンの舞台のチケットをくれました。

初めて生でカルメンを歌っている歌手さんを見て感動しました。

女性の高音の声はちょっと聴きとりにくかったのですが、お腹にビシビシ伝わって来るものがあり、とても面白かったです。

 

歌。

私は歌は下手なので、歌の上手い人は良いなと思います。

あまり詳しくないのですが、時々テレビで美空ひばりさんの歌を聴くと、何故か感極まって泣いてしまいそうになります。

あの人の声に乗っている情景やメロディはとても壮大で交響曲を聴いているような感じがします。

チャイコフスキーやドヴォルザークなどを思い浮かべてしまいます。

 

歌で思い出すのは・・・

去年、【かぐや姫の物語】を劇場で観たのですが、その映画の最後に流れていた歌を思い出します。

  

  あなたに触れた喜びが 深く深く

  このからだの端々に 沁み込んでゆく

 

映画のタイトルには、姫の犯した罪と罰というサブタイトルが書かれていました。

最後の歌を聴いて、なるほど、と思いました。

 

せっかく自ら望んで生まれて来たのに、いろんなモノに流されて生きて、本当にしたかった事をせず、気が付いたらもう嫌でもあの世に連れて行かれてしまう。

どんなに拒んでもあの世からの使いが来てしまう。

 

自分が会いたくて会いたくて仕方なかった人や、もう一度やってみたかった事があったのに。

そぎ落としたい垢があったのに、何もせず、享楽的に過ごす事を選んだり、いろいろあの時こうすれば良かったのに・・・と思ったりしてももう後の祭り。

過去に忘れ物をしてきている人ほど、あの映画は胸に突き刺さったのではないか?と思いました。

 

過去に忘れ物をしたのなら、取りに行かないといけない気がします。

その忘れ物をした場所から止まっているものがあるのだと思います。

 

私も、5、6年前くらいから忘れ物を取りに行く旅に行く事を決めて、取りに行きました。

自分が一番辛い思いをした時に戻るのはもの凄く辛いもので、今はようやくその旅も終りに近付いていますが・・・

自分の心の大手術だったので、いまもリハビリのような感覚です。

誰も気が付かない心の奥なのだから、誰かに言われるより自分で泣きながらでもその忘れ物の存在の大切さに気付く必要がありました。

 

病気や犯罪者になってしまいそうなくらいトラウマは膿んでいて、痛いからぎゃあぎゃあ騒ぐだけで、時々その傷に薬を間に合わせで塗ったりしてごまかして、その根本原因を知ろうとしない弱い自分も居て、10代からずっとそのままでした。

 

忘れてしまおうとしたり、楽な事ばかりして本当に忘れてしまっていても、ふと、とある歌や音を聴いたりした時に、その歌や音が記憶を刺激するのです。

何故、歌や音で涙が出るのだろう・・・?と思いますが、止まっているものが反応していて、周りは誰も解らない。

自分しかその事の重大さに気付けないのです。

 

心はどうなっているのか?

私はそれが今も昔も気になっています。

見えないのに、見える世界に大きな影響を与えている心。

 

その心に繋がるものがあってくれて本当に良かったと思います。

 

迎えが来てジタバタしないでも良い様にしたいものです。

 

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